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「踊る」ダンスに「観る」ダンス。ダンスを求めて世界を徘徊。


by enterachilles
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シュツットガルト・バレエ団 『白鳥の湖』 6月6日ソワレ

今回のシュツットガルトでの公演が日本初演のクランコ版『白鳥の湖』。端的に言うと、好みが分かれる作品でしたね(乱暴なまとめ)。白鳥としてありえないという全否定派と、オーソドックス版にない解釈が面白いという人々に。概して、前者のほうが多かったような気もしますが…。私は、白鳥としての出来は置いておいて、なんでクランコはこれを作ったんだ?という疑問にかられています。あ、あと、エヴァン・マッキーの評判は高まったかな。全体的に。

キャストは、オデット/オディールがアンナ・オサチェンコ、ジークフリートがエヴァン・マッキー。元々はアイシュヴァルトとラドメイカーの予定キャストだったのですが、アイシュヴァルトが怪我のためラドメイカーもパートナー降板のため、オサチェンコ&マッキーになったのでした。ちょっとラドメイカーの王子も見たかったなぁ。まぁ、じゃじゃ馬でおどけラドメイカーが見られたからよしとするか…。というわけで、オサチェンコ、マッキーともに初見のペアでした。

クランコ版白鳥のユニークさは、セルゲーエフ版をオーソドックスとするとすれば、特に一幕での曲順の入れ繰りが風変り(邪悪版黒鳥の曲とか、スローな曲が多い一幕)で、スローな曲で魅せるのはソリストクラスにはややdemandingだと思いました。一幕、ソリストの女性ダンサーが転んでました。ある程度勢いがある振りだと誤魔化せますが、ゆったりだと誤魔化せないので。あとは、これは解釈の問題ですが、クランコ版に対する予備知識ほとんどなし見たまんま解釈の視点からすると、オデット/オディールはロットバルトの一味です。そりゃあ風変りですよねぇ…というわけで、全否定がいるのもやむをえませんね。私は嫌いじゃなかったです、王子が溺死するラストとか。(普通、白鳥は能天気≒オプティミスティックに愛の力で二人とも助かるか、二人が天国で結ばれるかで、とにかく二人は運命共同体)

オデット/オディール=ロットバルトの一味説のベースは、

1) オデットがもののけ風白塗りメイク
2) 愛をうたい上げるというよりは王子が落ちたことへの高らかな勝利宣言のような白鳥のアダージョの盛り上がり
3) 王子のお仲間が白鳥を白鳥として撃とうとしているのに王子は白鳥を人間と認識してお仲間を止める
4) ぶーたれ王子の溺死と「こいつもダメだったか…」というファムファタルっぷりな四幕のオデット

4幕になってまぁ、ようやくオデット=ロットバルトの一味説は形を成すわけですが、2幕のオサチェンコのもののけ風オデット、私はその「憑いた」オデットっぷりを大変面白く見ておりました。まぁ、「これどうやってつじつま合わせるんだろうか?」とやや思いつつ見ていたのも事実なのですが、それで4幕でああきて、「なるほどぉ」と。そういう意味でも、オサチェンコの白鳥はまさに意図通りの2幕のオデットだったわけですね。冷たいオデットというのではなく、「この世のものではない」オデット、異形としてのオデットのオサチェンコは、アダージョの抑えた芯の強い踊りに見応えがありました。

2幕は主なところはいじってません。イワノフを踏襲しております。一幕での風変り感とのギャップが大きい。まぁ、コールドは隊形やらを多少いじっているわけですが、幾何学的な美しさという意味では満足度が低かったです。コールドの踊りそのものも揃ってない。まぁ、シュツッツガルトに求めるのはコールドの揃いっぷりでないといえばそうなんですが、白鳥だし、ねぇ。

3幕はオサチェンコがどうした!?という出来でちょっと残念でした。回転系のパが冒頭から不安定だったのですが、グランフェッテに至っては32回転回りきる前にバランスを崩して20回転くらいしか出来ていませんでした。グランフェッテの音楽の途中で気を利かせたマッキーがナイスフォローで踊り始めていました。オサチェンコ、基本的にアレグロが弱いのかもしれません。マッキー王子は軸の定まらないオサチェンコを一生懸命支えていましたが、グランはどうしようもないからなぁ。マッキー王子は長ーい手足を持て余すことなく、コントロールしていました。あと、3幕はロットバルトのスキンヘッドっぷりが風変り感満載です。黒鳥PDDのフィニッシュのポーズが不可思議なかんじなのも印象深いですが、だから?みたいな。

オデットもロットバルトの一味とはやや語弊がある言い方なのかもしれませんね。オデット=ファムファタル説のほうがやや近いかもしれません。オディール=一味なのはそうなんですが、ここクランコ版の白鳥ではオデットは「こいつもダメだろうなぁ」と思いつつも2幕で王子をひっかけて、「今度こそはこいつが救ってくれるかも!」という一筋の期待をこめて通例のオディール投入に至るものの、「やっぱりこいつも裏切ったか…次行くか、次」というロットバルトの物語の一部に組み込まれているものとして解釈していいんだと思います。その物語は永遠に繰り返されるもので、オデットはあきらめつつもその物語から解放されることのないキャラクター。解釈としてはとても面白い白鳥だと思います。

ただし、これがクランコ!?というのだけが釈然としないんですね。この世界観、どちらかというとノイマイヤーが作りそうな白鳥なんだよな。溺死→ルートヴィヒ2世→ノイマイヤー版白鳥につながるし。まぁ、ノイマイヤーはお師匠さんクランコの白鳥が作られた後にノイマイヤー版白鳥を作っているので、クランコのほうが先なんですけれど。クランコの作品の世界観とは全然違うからちょっと戸惑います。
by enterachilles | 2012-06-06 23:20 | dance review